KokoroKaradaEgaoの日記

心と身体が優しく癒されて、笑顔で穏やかに平和になれたらいいな...☆

自分の癖

またやりました。

ネフローゼ症候群再発です。

北九州に引っ越してきて1度も再発していなくて、妊娠出産以外で奇跡的に2年も再発していなくてようやく薬も無くなると思った一歩手前でした。

なんて馬鹿なことをしたのだろう。

どうしてもっと自分を大事に出来なかったんだろう。

今までも課題はこれだったのかとようやく気付きました。

今回再発前も予兆はありました。

疲労、浮腫み、過密なスケジュール、乗り越えられるかの怖れと、大丈夫大丈夫と不安を埋め込むような過食...

周りにちょいちょいこぼして周りにSOSを出し、誰か私を救ってと周りに救いを求め...

でも誰かにどうにかしてもらおうと思ってるところがそもそもでした...

その結果、病気を患ってから12年毎回再発しては被害者の自分を作り、周りを加害者に仕立て上げていたことに気付きました。

私を助けられるのは私だったのに、私が私を見て、私が私を愛して救うことから目を背けた結果でした。

もっと自分を大事にする

理想の自分ばかりを追い求めていましたが、私が私でいることを認めていなかったのかもしれません。

やり甲斐を持ってキラキラ一生懸命やりたいことに没頭し周りのお役に立つ。より世の中のお役にたつ自分で在りたいと思って生きていました。

それはいいことではあると思うのですが、自分を大事に出来ないとそのカケラすら出来ない...

ヨガの生徒さんのお一人が小学校卒業する時に「みんな離れていくけれど自分は自分と一生一緒にいるんだな」と思ったとおっしゃっていらした方がいました。

からしたら12歳にしてなんて悟り‼️

と思いました。

私は41歳にしてようやく私が求めてる私は外にあるのではなくて私自身にあることを今ようやく気付かされているところだというのに...

これから毎日寛解した後も日々自分を見つめて愛していけるだろうか。

大事にする努力から始めよう。

いつも頑張るように鞭を打った自分にごめんなさい。それでもまだ元気に生きている自分にありがとうございます。

やり続けられなかった

ヘンゴン30分

タンベゴン103回

PBM(perfect brain method)を受けた後の課題で毎日やっていたのに

昨日やろうと思えば出来たはずなのにそうじゃない方を選んだ。

21日間連続でやるはずで、せっかく14日間続いていたのに。

でもやりたくてやってたんじゃないからかな。

変わりたい思いはあるから(常に穏やかな自分に)その意地でやってた。

今日1日ぶりにやったら何だか既に懐かしい気がした。

たった1日やらないだけで。

でも1日しか空いてないからか感覚は変わっていなくて(良くも悪くも?)いつも通りできた。

何でこの課題なんだろ

もっと即効性のあるもの

やった感のあるもの

やったらもっとすぐに身体がラクになるもの

もっと自分がやりたいと思えるもの

をやりたいといつもどこかで考えてしまう...

でもきっとだから今この課題なんだろうけどね...

ちょうどやり続けられなかった自分にちょっと落ち込んでた時にヨガの先生から「今日は元気ですか?」のメッセージ

何か感じましたか😅?

昨日やれなかったことを伝えると

「そんな日もあります」と

そうね、そんな日もありますよね。

またやればいい

やり直せばいい

ということですね。

 

平和とは

土日に自分の考え価値観を揺るがす戸惑う出来事があったせいか、寒さでやられたか、喉の調子がイマイチで時々痰が出て、頭が重く頭痛もあり(低気圧のせいもあったと思うけど)ヨガを始めてしばらくしてタンパク尿が全く出なくなっていたのが少し出るのが続いてるのもあって、

気持ちは吹っ切れてるはずなのに早くタンパク尿を正常に戻したいのもあって浄化したい気持ちになり

ヨガで人生2回目のアクアマリントレーニングを特別にして頂いた。

前回とは違って自分にごめんなさいをした時に

ただ平和でいたかっただけなんだと気づいた。私はこんなにも平和を求めてるんだ、平和を願ってるんだと思った。

自分の真我がわかっているせいか3番チャクラ4番チャクラはそれほど痛くない。

でも5番チャクラの喉にきた。

平和でいたいのに上手く言葉で表現出来なかったからかな。

平和って無我に似てる

ってか平和って無我ってことなのかな

今まで私の概念では

平和って明るい神々しい穏やかな黄色のような光に包まれたイメージだった。

でもそれって私が作り上げたイメージ。

平和には笑顔がつきもので

笑顔じゃないとダメだって

周りを笑顔にすることが平和だって思ってた。

もちろん笑顔にできることは平和の行いの一つかもしれないけれど、笑顔でいれれば平和かと言われるとそうとも限らないし。(心の底では泣いてるかもしれないしね)

人を笑顔にしなきゃいけない、その為には自分が笑顔でいなきゃいけない。

と思っていたし。

それは自分が笑顔でいれないならそれを選択しなければいい(笑顔にならない人と一緒にいないとか笑顔にならないことをしないとか)ともとれる。

でもたとえ顔が笑顔でなくても平和ではいられる。

そもそもいなきゃいけない

と思っている時点でどうなの?

平和になれてなくない?

無我って本当に何にもないの。

無味無臭で色もない。

何にもないけど寂しいとかもない

ただ穏やかなの

私が望んでいる平和ってこういうことなのかな

ただ平和

ただ穏やか

そこには

笑顔とかはない

でも平穏、平和でいられる

ならそれでいいんじゃない

ちょっと笑顔や穏やかな色がないのは寂しい気もするけれど、それに執着するから違いに落胆もするのかなと思うと

今までのイメージを手放すだけでラクになるのかなと思った。

今日のレッスンを通じて学んだことは結局はエネルギー不足ってこと。

垂直振動して1番チャクラ、2番チャクラが弱いことを痛感した。

寒さと不安、考えでエネルギー使い切って疲れちゃったのね(そんなことにエネルギーを使い切ってしまうのは勿体無いね)

エネルギー使い切ったあとは頭(精神力)で何とか乗り越えられたけど(だから頭痛いのかな)、それに気付いたなら丹田を鍛えるしかない。

ネフローゼもそうやってエネルギー使い切ったあと精神力でなんとかやってたから無理が生じたのかも。

ただ丹田を鍛える

ただ平和を願う

ただ無我になる

私に今出来ることはそれだけ。

腸運動

今日のヨガは特別トレーニングBE1で

テーマは『腸運動』だった。

初めの頃腸運動をすると腰(腎臓)部分が痛くて辛くて大っ嫌いだった。

でも準備運動で毎回していくうちに痛いどころか気持ちいいに変わって、同時に呼吸が深く出来る様になったことを感じた。

「深呼吸ってこうやってするのね」と改めて感じたくらい。

改めて腸運動の仕方

足は肩幅

少し腰を落とした騎馬姿勢

おへそに両親指を当てて丹田を覆うように手を三角形にしておく

お腹を突き出すように膨らませ

肛門を閉めてお腹を斜め上に引き上げて凹ませるのを

円を描くように膨らませるもの凹ませるも同じ速度で行う

今は腰は痛くない

でも、ちょっと横向きで腸運動を行うと腸の左右がまだ硬いらしく違和感。背中にも違和感を感じる。

そこがまだ硬くて詰まっているんだな。

腸が柔らかくなると排便がスルリとされて、身体が軽く、

身体が軽いと心も軽い

冬休みで長くお互いの実家に帰省して緊張し、便秘になりがちだったのが、今朝ようやくスルリと出たのもあって

腸が軽いと身も心も軽くなり、周りを受け入れやすくなり、心もコントロールしやすくなるなと感じた。

腸って奥が深い。

まるで宇宙のよう

きっとまだ解明されてないことたくさんあるんだろうな

息子が「宇宙博士になる!」と宇宙好きなこともあり宇宙のアレコレも学んでいると

腸≒宇宙

いや、腸は銀河かな。

人間の身体の中≒宇宙かな。

って繋がるところあるかなーと思ったりする。

 

前回のBE1でやった

昇水火降(頭は涼しくお腹から下は温かい)←唇の下から任脈が下丹田に向かって降りて、火は心臓でその暖かさが水の腎臓を温めて水蒸気になり、下丹田から背中、百会を通って唇の上までくるらしい。

精充気壮神明(丹田が充分なエネルギーになると心が大きく穏やかになって神のような創造性の脳になっていく)

はなんとなく覚えていたけれど、

心気血精はまったく入っていなかった

心を傾けるところに気は集まり、血は作られる

心を傾けてあげていなかった身体には新しい血が流れていなかったのかな。

詰まっているところ、痛いところは心を傾けて欲しいというサインなんだな。

新しいいい血を巡らせる為にも自分の身体に心を向けていい気と血が流れるようにしよう。

心が顔や身体を作る

30歳(20歳?)以降の顔は履歴書

いつも考えてたら眉間にしわ寄るし

怒ってたら吊り上がってるかも

笑ってたら笑い皺が出来て

どんな自分でいたいかは自分で選択できる

辛くても笑ったら気の流れは変わる

自信ないと姿勢も丸まる

思い描く結果と違う

どうして余計なこといっちゃうんだろ

どうして上手く伝えられないんだろう

伝わるように伝えられるようになりたい

でも、そう思うことはすでに相手をコントロールしようとしてるのかなぁ

伝えたいことは本当は『出来れば一緒にいてたわいもなくても笑顔でおしゃべりしていたい』なのに、何故か愚痴っぽくなって、相手を責めてるような言い方になっちゃう。

確かに心のどこかで『こうしてくれればこうなったのに』って思いがあるからだよな...

それが前面に出ちゃうんだよな...

感情だから出てきちゃうものだし、そう思わないってのは難しいかもしれないけど、じゃあどういう結果が良かったの?ってところにフォーカスして相手に気持ちよく伝えてあとは相手に任せるってのが出来たらいいのかな。

でもどう伝えれば気持ち良く伝えられるのか分からない。

分からないけど伝えたいから緊張するし不器用な伝え方になっちゃうんだろうな...

丹田力が足りない?瞑想が足りてない?

言葉の習慣を変えれば変わる?

どう変えればいい?

まだまだ修行が足りません...

冬休みの間もなんとか毎日ヘンゴン(1日だけ途中で子どもに「おしっこ!」と言われ5分で終わった日もあるけど)はしてるけど、集中してはできてない...周りに人がいたり、お腹に子どもが乗っていたり...(^^;)

毎日しっかり15分ヘンゴンして丹田叩いたり腸運動しているとふと何か気付いたり悟ったりすることがある。

身体と心を集中して鍛える時間を1日の中で作ることは必要だなと感じる今日この頃。

 

ヘンゴン連続21日達成

変化は...?

21日目の朝、ヘンゴン途中で息子が起きて邪魔してきたが無理矢理やり続けてなんとか15分達成!

でも息子が私と戯れたがってるのに無理矢理自分のやりたい事やり通したからちょっと違和感(ーー;)

で、夜も子どもが先に寝てくれた為再度ヘンゴン15分。背中と腰がピタッとくっついて急にブレるのが少なくなった気がした。

15分も始めの頃に比べればラクに乗り越えられるようになってる。

従姉妹に「あんたはブレるからなー」と以前言われたけど、修練してブレない自分を作りたい。

私自身が穏やかな笑顔でいつも平和でいられるように。

そして周りを穏やかに笑顔にして世の中が平和になっていく空気を作っていけるように。

怒りの原因は過去の悲しみかも

母親って叱ったり怒ったり出来るだけしない方がいいんだろうな。

どんな母親も自分の子を1番愛してると思う。
でも愛し方や伝え方が分からなくて恐れから怒りに変わったりするんじゃないかな。

でも本当はお互い愛してるし、もっと愛し合いたい。

子どもは特に母親の愛が必要だと思う。
身体を作ったある意味一部で特別だから。

子どもには話を出来る限り聞いてあげて、面と向かって穏やかに笑顔で接する。
怒ってしまっても「ごめんね」と「愛してるよ」を伝える。

子どもを叱る理由って自分と他人と環境(モノ)を傷つける以外ってないと思うし、その時も叱るんじゃなくて伝えるでいい。

でも何故か声を荒げて、怖い顔して指示、命令してる。

本当はそうしたいわけじゃないのに。

怒りに変わってしまったのは過去に同じようなことで自分が悲しかった経験あったということに気付かされた。

まずはその一つ一つを読み解いて癒そう。

何で怒りに変わるような悲しいことがあったのか、わかると(自分が自分のことわかってあげると)それだけでスッキリしたりする。

 

夫が昼間横になって寝ているといつも何故かイライラしていた。

頭では平日仕事で疲れているんだし、寝かしておいてあげよう、と思ってる。

でも何だかイライラ...

そんな時、息子が私のちょっと気に食わないことをした時に(いつもの?よくない時のパターン)大きな声で怒鳴ってしまった。(ある意味八つ当たりよね...ごめんね。)

夫に「自分もそうやっていつも大きな声で怒鳴られてたの?」と聞かれ、「大きな声ではないけどよく怒られてはいたよ、あとはー....

いつも寝てた。お母さんー!って言ってもこっちを向いてさえくれなかったよ」と言って涙が溢れてきた。

そうかー。

私、聞いて欲しかったんだなーって。

そんなことあったなんて忘れてた。

いつも自分のこと気にしてもらえなくて寂しかったんだなーって。

わんわん涙が出てきた。

まず自分のことを知ってあげること。

気づかなくてごめんね。寂しかったよね。

と、自分に言って癒やしてあげること。

それが出来たらスーッと楽になった。

だから夫が昼間寝てるのみるの何だか嫌な気分になっていたんだなと気づいた。

なんとなく今度夫が昼寝していても客観的に見れるかも。

 

私が3歳くらいの頃、母は妹がお腹にいて、産まれる少し前から私は親戚の家に預けられた。

親戚の家は大好きな叔母もいたけれど、いとことは上手くやれず、いい子でいないといけないと思い、その頃から私の「いい子ちゃん人生」はスタートしている。

なかなか言いたいことが言えなかった私。

妹が産まれてしばらくして今度は母親は育児ノイローゼからかうつになった。(今思えば1人で3人も子育てしてたらうつになるよね😓)

だから幼稚園から帰った後も昼間寝てることも結構あったし、2つの親戚の家にお世話になったりしていた。

そんなわけで今は仲良しの妹のことも以前は大嫌いだった。

妹が出来てから私は母と一緒にいられなくなったし(妹は赤ちゃんだから母と母の実家にいた)、せっかく話せるようになった私の話を聞いてくれる母はいなかった

一緒に住むようになって、妹のことは「誰コイツ」だったのに、「お姉ちゃんなんだから貸してあげなさい」「お姉ちゃんなんだから優しくしなさい」「女の子なんだから(家事)手伝いなさい」と、私の話を聞いてくれることはなく、指示されることが多かった。

一見いい子ちゃんの指示待ち人間の出来上がり。

それでも母が好きだったんだと思う。

その母の首の肉を爪で摘みながら寝る妹を見て母を助けたいと思い、「やめなよ!」と妹の手を振り払い泣かせてしまったら「いいのよ!」(「寝そうだったのに泣かさないで!」ということだったんだろう)と、母に怒られたのは私だった。

ストーカーとかでもあると思うけど、母への愛情がそのうち悲しみに代わって積もり積もって高校へ上がる頃には憎しみに変わってしまい、母の事を好きではなくなり、いわゆる反抗期に大爆発していた。

家に帰らない。

暴言吐きまくり。で、怒鳴り合い。

妹と喧嘩しまくり。

小さい頃ちゃんと「寂しい」って言えてたらねぇ...もしかしたら抱きしめてくれて『喜び』に変わってたかもしれないのに...

映画『インサイド・ヘッド』で思い出ボールは『カナシミの裏にヨロコビ』が。でも、私の人生は『カナシミの裏にイカリ』が来ちゃったんだねぇ...(たまたま息子がこの本読んでと夫に読んでもらっていてそう思った)

 

でも今自分で自分のこと癒やしてあげれるから。

出来れば同じリレーを息子にしなくて済むように。

いっぱい子どもの頃の自分を理解してあげて優しくして癒やして、乗り越えたい。

 

そして出来る限り息子には優しく愛に溢れる人でいてもらえるよう、出来るだけ息子の言っている事を理解し、優しく、受け入れ、愛溢れる接し方をしたい。